人と自分を比較して劣等感を感じたり落ち込む必要はない!気になる他人の評価を気にしない方法

管理人の little entrepreneur(@litpre_libelife)です。

社会生活を送る上でどうしても避けられないのは、自分以外の他人との関わりです。

 

特に、組織の中で働く以上は本人が望もうが望まないが、否が応でも他人と比較されてしまいます。

人によっては、他人との比較に悩んだり苦しむこともあるでしょう。

(例に漏れず私も物凄く気にしますし、すぐに傷つきますw)

 

今回は、他人との比較で落ち込む必要はないことを論じ、他人の評価を気にしない方法を考察します。

 

 

 

私たちは人と比較される環境下で生活している

 

私生活や仕事を問わず他者との関わりがある以上、どの世界でも人との比較は避けられないと思います。

 

私は他人と比べたり自分の価値観を人に認めさせることに意味はないと考えます。

ただ、世の中には自分の価値観を他人に押しつけたり、人といちいち比較したがる輩が一定数いるので困りもの。

 

個人的にはむやみに比較をしたがる人たちがいなくなれば、もっと生きやすい社会になると思うのですが、これがなかなか難儀です

 

以前の記事でも書いたように、他人の意識を変えることはできません。

参考:

自己正当化のために他人を否定する人の心理とは?攻撃的な性格の人への対処法

 

そのため、比較に苦しんでしまう理由を考え、自分の意識を変えることで解決策を模索してみます。

 

 

人との比較で劣等感を感じる理由

 

まずは、人との比較でどうして劣等感を感じてしまうのか考えてみます。

 

  • 人と違うことを怖いと考えるから

 

まず、人と違う部分があることをマイナスにとらえてしまうのが一つの理由だと思います。

大多数の人の価値観と合わない場合、合わせられない自分が駄目なんだと卑下してしまうのです。

 

その根底には周りと同じでないと不安を感じる心理があるということですね。

本当は人それぞれ個性があっていいですし、追い詰められることもないとは思うのですが…

 

 

  • 社会の常識が正しいという思い込み

 

周囲と合わないことに後ろめたさを感じるのは、無意識に社会の常識が正しいと思い込んでいるからではないでしょうか。

 

確かにどんな場所でも「こうあるべき」という定式化された考え方はありますよね。

多くの人が共有する常識に適合できないと疎外感を感じてしまうのも無理はありません。

 

ただ、その前提には社会の常識が正しいという刷り込みがあるように思います。

 

 

  • 自己肯定感が低いことに起因する

 

社会の常識から乖離することに不安を感じるのは、自分の価値観に自信を持てないからのように思います。

確固たる芯の強さがあれば、周囲との違いに苦しむこともなくなるのかなと。

 

そういう意味では、自己肯定感を高めることができれば比較されても揺るがない自分になれそう。

これは、私自身も課題としているところです。

 

 

世間の価値基準が必ずしも正しいとは限らない

 

ここまでに書いた内容を踏まえると、私たちが他人との比較に苦しむ主な要因は世間の目を絶対視していることだと考えられます。

果たして世間様の基準は本当に正しいのでしょうか。

 

私の定義する世間の常識とは、大多数の人がそれを正しいと信じていることです。

そのように定義づけると、ある場所では正しいと思われていることが別の場所では間違いかもしれない。

 

特に組織を維持するためには、共通の基準のようなものが必要です。

ばらばらの個人をなんとか一つにまとめるために、常識という枠組みを作り出しているとも考えられます。

 

これは、所属する場所によって常識の尺度は変化するということ。

 

そう考えると、世間の目なんて漠然としていて流動的だと思いませんか。

 

 

他人の目は自分の思い込みという可能性

 

ここまでは世間の目や社会の常識について考察してきました。

私たちは誰に言われるまでもなく、頭の中で「こうするべき」という考え方にとらわれることがあります。

 

世間の目を過剰に意識するあまり、自分で常識の範囲を決めつけてしまっているかもしれません。

このような視点を持ってみると、他人の目は自意識が作り出した幻想であり、単に思い込みという可能性もあります。

 

その常識は、実際に誰かに押しつけられた価値観なのか、はたまた自分の想像する世間の目なのか。

一度立ち止まって考えてみれば、客観的に現状を把握できそうです。

 

 

自分から人と比較していないだろうか

 

不思議なことに私たちは他人と比較され続けると、今度は自分のほうから人と比較して落ち込むようになったりします。

 

あの人はできるのに私にはできない、あの人は持っているのに私は持っていない、という風に自分にないものを持つ人と比較して劣等感を感じるのです。

 

確かに、他人との関わりで現在の自分の立ち位置がわかる部分もあるでしょう。

しかし、比べることで落ち込んでしまうのは、すごくもったいないと思います。

 

他人は自分を映す鏡とも言いますし、案外他の人がうらやむものを自分が持っているのかもしれませんよ!

 

 

気になる他人の評価を気にしない方法

 

生きている以上は社会の常識という枠組みに当てはめられ、他人に判断されて自信を失う瞬間は多々あると思います。

そこで、今度は私たちがついつい気にしてしまう他人の評価を気にしない方法を考えます。

 

 

社会の常識が本当に正しいのか疑う姿勢を持つこと

 

これまでに他人との比較に苦しむ理由として、社会の常識に縛られていることを書きました。

 

ここで、私たちが信じている常識が本当に正しいのか少し懐疑的に見てみるのもありだと思います。

よくよく考えてみると、合理的な理由がなく信じられていることってありませんか?

 

ライフスタイルや冠婚葬祭のあり方、ビジネスマナーや飲ミュニケーションの文化など、旧態依然とした風習は今も残っていると思います。

 

もはや誰が考案したかもよくわからないルールが、昔から続いている、みんながやっているからという風に当たり前のように文化として受け入れられている。

これって実はすごい奇妙なことに思えますし、全て律義に守る必要性を感じないのです。

 

しかし、儒教的価値観が色濃く残る日本では上下関係や同調圧力も厳しいので、心の中で疑問を感じても従うしかないのが現実でしょう…

 

正直言って、社会で信じられている常識は今の時代にそぐわないものも山ほどあると断言します!

 

確かに、今までは上手く機能していたかもしれないので、一概に間違いだったとは言い切れません。

当時はきっと正解だったんだと思います。

ただ、時代は刻一刻と変わっていくのが現実。

 

世の中に溢れている「最近の若者」論とかも総じて「時代が違う」の一言で片付けられそうな気がするんですよね。

他世代の粗探しではなく、お互いの良い部分を認め合えればもっと多様で面白い社会になるはず。

 

どちらが正しいか決めることは無意味だし、本当は正解なんて存在しないと思います。

 

常識に合わせることができない自分を責めるのではなく、それがはたして本当に正しいのか疑問の目を向けてみることも大切です。

 

ただ、あんまり穿った目で見すぎると社会性を失うので気をつけないといけませんが笑

 

 

今の自分を肯定すること

 

これは私自身にも言えることですが、他人との比較に苦しむ人は現在の自分を肯定できていないことが多いと思います。

しかし、そんな弱気な性格の人が急に自己肯定感を高めることは難しいでしょう。

 

どんな人にも良いところは必ずあるし、意外と自分では欠点だと思い込んでいることが、他人からみれば才能に感じる可能性だってあります。

そのため、まずは自分の良い部分に目を向けて今の自分を肯定してみることが大切です。

 

何か足りないところがあれば、これからどうにかすればいいし、仮にそれが無理でも自分の長所を伸ばせばいいと思います!

 

世間の評価軸ではなく、今の自分の価値観を大切にしましょう。

誰一人として同じ人間はいないし、無理して人に合わせることはないのです。

 

 

自分の可能性を信じること

 

前述のように今の自分を肯定できれば、今度はこれからの自分に目を向けられるようになります。

 

未来のことを考えると不安になることは多いでしょう。(私がまさにそうですw)

それでも、今現在の自分を認めてあげることで、なんだか可能性に満ち溢れてくると感じませんか?

 

実際、個人の能力差なんてそれほど存在しないし、環境や考え方次第で変わると思うんです。

未来のことは誰にも分からないからこそ、いくらでも良い方向に変えられると考えられます。

 

これは理想論に聞こえるかもしれませんが、自分を卑下して将来を悲観するよりはよっぽど建設的な考え方のはずです。

 

 

私たちはもっと自由に生きることができる

 

私たちは生まれてから死ぬまで身勝手な比較や競争にさらされ、一部の勝者(とされる人たち)を除けば自分を捨て、周囲に合わせる生き方を強いられることが多いでしょう。

 

しかし、社会なんてものは誰かにとって都合良く作られた枠組みに過ぎません。

 

私たち人間は、少なからず他人の影響を受ける生き物ですが、自分の考え方一つで見える景色も変化すると思うのです。

 

本当は他人の目なんて気にせずに、もっと自由に生きていいはず。

 

これは今までの人生で悩みまくって出した私なりの結論です。

もちろん個人の考え方であり、正解だとは思いません。

 

お前みたいな若造に人生の何がわかるのかって批判も来るかもしれません。

 

ただ、私は物事を前向きに考えられるようになって、以前より毎日が楽しくなりました。

これまで人目を気にしていた時間が本当にもったいなかった。

 

これは持論になりますが、人生は他人との競争では決してないし、自分の優位性を主張するのは不毛な行為だと思います。

他人との比較に終わりはないので、比べ続ける限りその人は永遠に満たされることはないです。

そして、人と比べ続けた先に残るものって一体なんでしょう?

 

不器用かもしれませんが、他人に承認されるために生きるのはもうやめました。

たとえ蔑まれたって、自分が納得できる自由な生き方を追求したい。

 

 

記事を読んで下さった皆さんも一度、他人との比較から自由になってみませんか?

 

 

 

人目が気になることに悩んでいる方はこの記事もどうぞ!

他人の目が気になる… 気にしないで自由に生きるには?

Digiprove sealCopyright secured by Digiprove © 2018

2 件のコメント

  • […] 今回読ませていただいたのは、litten@廃墟好き投資家さん。『 人と自分を比較して劣等感を感じたり落ち込む必要はない!気になる他人…』。 隣の芝生は青く見えちゃうんですよね。 そして、隣にばかり目を向けていると、自分のことが分からなくなる。 私は、自己肯定感を高めるためにアファメーションを活用しています。 […]

  • コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

    このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

    ABOUTこの記事をかいた人

    little entrepreneur

    「さとり世代」と呼ばれる若者です。 なんでもやりたがり屋な性格のため、現在は投資を中心として、いろいろなことに挑戦しております。 人生の目標は、自分らしく自由に生きること! 趣味:読書、廃墟探索、史跡巡り、音楽鑑賞、サッカー観戦、英語学習 投資:FX(外国為替証拠金取引)、仮想通貨、インデックス投資、ETF(上場投資信託)