歳を重ねるにつれ、物事にやたらと意味を求めるようになってしまう辛さ

管理人の little entrepreneur(@litpre_libelife)です。

最近よく感じるのが、歳を重ねるにつれて自分の行動に何かと「意味」を求めてしまうということ。

 

本来は趣味でやっていることさえも、

「こんなことをしていて本当に意味があるのか?」

という考えが頭をよぎると途端にモチベーションが下がるのが辛いところです…

 

そして、こんなことを考えながら生活していたら、このブログへの熱意もいつの間にか薄れていました…

 

ということで、今回は久しぶりの更新で思う存分、弱音を吐いてしまおうと思います!笑

 

 

 

物事にどうして意味を求めてしまうのか?

 

大人になっていく過程で、ずっとモヤモヤしていたことがあります。

それは、以前は楽しかったこと、興味のあったことが世間の目(特に親世代の価値観)を意識した途端、急に意味のないものに思えてしまうということ。

 

「普通はこうするべき」、「いい歳して」、「みんなと違うと変」といった言論を過敏に受け取るあまり、自分の行動に自信が持てなくなる感覚です。

 

本来、物事に意味づけをする主体は自分のはず。

それにも関わらず、自分の行動に意味があるのか急に不安になるのは何故か?

 

この答えは「承認欲求」にあるのかなと思います。

世の中の大勢が「意味がある」と考える基準に合わせないと息苦しい、なるべく認められたいと無意識的に思ってしまう。

心の奥底では合わせたくないと思っているんだけど、合わせないと誰にも認められなくなって辛くなるのが目に見えている…

 

言語化するのは難しいですが、誰かに肯定されたいという傲慢な心理が実は働いているんだと思います笑

 

人と自分を比較して劣等感を感じたり落ち込む必要はない!気になる他人の評価を気にしない方法

過去にこんな記事を書いているのにね…苦笑

まだ人目を気にする自分がいる。

 

 

誰かに認められないと本当に意味がないのか?

 

果たして誰もが多くの人に賞賛される立派な生き方をしなければいけないのでしょうか?

ここでいう立派な生き方とは、「こうあるべき」という世間で定型化された生き方です。

 

みんな同様に決められた道を目指さなければならないという空気感をつくりだしたところで、世の中の多くの人は本当に幸せになれるでしょうか?

 

私はそんなの間違っていると思います。

 

本来、私たちは生きたいように生きていいのです。

 

ガツガツとした欲がなくたって、社会を牛耳る人たちの言う「正しい生き方」ができなくたって、趣味が偏っていたって、普通に自分の人生を生きているだけで十分素敵なことじゃないですか!

 

社会的ステータスのような物事の表層部分だけを見て、アイツはおかしい奴とか、劣っているとかマウント取るなんて、それこそダサい行為です。

たとえ自分に対して向けられた言葉でなくても、こういった発言を聞くこと自体に昔から嫌悪感があります。(私の心が狭いのかもしれませんが…笑)

そもそも、本来は対等な人間関係に優劣の意識を持ち込んでいったい何が得られるのか。

 

正直、赤の他人が押しつけてくる「意味」なんて、そんなもんクソくらえです!

 

 

意味があるかどうかは、後にならないとわからない

 

今の自分が取り組んでいることに意味があるかどうかって、実際のところ後にならないとわからないことが多いのかなと思います。

そのため、現時点で心からしたいことは、他人がどう考えるかとか、本当に意味があるのかなんて気にせず取り組めばいいのです。

 

自分の価値観に自信がある人は、親切心で「こうするべき」と主張し、その考えに合致していないと「それ意味あるの?」と心無い言葉を投げかけたり、影で変な奴だと噂されることもあるでしょう。

それでも、ブレずに自分の道を進むことができるかどうかで人生の幸福度は変わると思います。

 

自分の人生の意味を他人に委ねるのではなく、自分自身で決められる勇気を持つこと。

流されやすい世の中で確固たる自分をもつことは難しいですが、人生を自分で意味づけすることが真の幸福につながるのだと感じます。

 

 

自分が本当に好きなことってなんだろう?

 

これまで、誰かの言葉の圧力に屈して自分が好きなことを封じ込める場面が割とありました。(多分に受け取り方もあったのでしょうが…)

 

それでも原点を見直してみると、今までの自分を形作ってきたものはたくさんあることに気づかされます。

廃墟趣味や読書、サッカーや賭け事、ポケモン、外国為替や仮想通貨、趣味に関するブログの執筆など、ハマった時の気持ちに嘘偽りは一切なかった。

 

世間で受けのいい趣味がなくても、他人と共有できる話題が少なくても、自分の「好き」を追求できれば十分じゃないか。

その上に承認されたいと思うのは贅沢な考え方なんだと思う。

 

いま一度、子どもの頃を思い出してみよう。

何をやっても楽しかったし、自分の好きなことが人様からどう思われるかなんて、イチイチ気にしていなかったでしょうに…

 

物事を偏見や損得ではなく、純粋に楽しめるという意味では、童心に帰ることも大切なのかなと思います。

 

最近、世間でウケの良くない趣味をブログで発信して何か意味があるのかという、どうしようもない思考にとらわれていました。

しかし、好きなものは好きでその気持ちを偽ることはできない。

これって理屈ではないんですよね…

 

周囲の人に理解されにくいからって簡単に辞められるものではない。

それが趣味なのかなと思います。

 

しばらくの間「意味」にとらわれて立ち止まっていましたが、ようやく抜け出せそうです。

気を取り直して今後も廃墟をはじめとした趣味をブログで発信していきます!

 

色々と悩んでばかりで申し訳ありませんが、いつも記事を読んで下さる皆様、本当にありがとうございます!

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little entrepreneur

「さとり世代」と呼ばれる若者です。 なんでもやりたがり屋な性格のため、現在は投資を中心として、いろいろなことに挑戦しております。 人生の目標は、自分らしく自由に生きること! 趣味:読書、廃墟探索、史跡巡り、音楽鑑賞、サッカー観戦、英語学習 投資:FX(外国為替証拠金取引)、仮想通貨、インデックス投資、ETF(上場投資信託)