何者かになりたいと病的にならなくていいんじゃない…会社員でも若者でも

管理人の little entrepreneur(@litpre_libelife)です。

 

近年、日常生活やSNS上など、様々なところで耳にすることがある。

それは、独自の価値を他者に提供できるような個人にならねばという、ある種の強迫観念にも似た風潮だ。

 

情報化社会の中でフリーランスのような会社に縛られない生き方が増えてきており、徐々にではあるが組織から個人の時代になりつつあるのだろう。

 

確かに、こういった考え方も一理あるとは思う。

ただ、みんな無理して何者かになろうとし過ぎではないかと違和感を覚えることがある。

今回はそんな疑問を書き連ねるだけの駄文です。

 

どんな人に読んで欲しい記事か
  • 何者かにならないと不安な気がする
  • 雇われ人としての自分を肯定できない
  • SNS上の意識の高い言葉に疲れた

 

 

 

これからは本当に個人が活躍する時代?

 

現実では建前があるからともかくとして、SNSなどでは個人で稼いでます、様々な人とつながっています、というようなフリーで活躍している(ように見える)人がやたら多い。

 

そんな人たちが口を揃えて言うのが、これからの時代は個人単位で他人に価値を提供できるようにならないといけないということ。

確かに、代替不可能な唯一無二の存在を目指そうという志は素晴らしいことだと思う。

 

しかし、みんなが普通であることを忌避して特別な人間にならなければと躍起になるのはなんだか窮屈な気がする。

 

SNSを通じて自分の趣味や得意なことを発信するのは、純粋に楽しいしメンタル面においても良いことだと思う。

 

ただ、それが周りと比べて優位性があるだとか、ネットビジネスでお金を稼ぐために必要以上に自分を大きく見せようとするのはなんか違うのではと。

 

また、この手の人たちの言う時間と労働力を提供してお金を稼ぐ従来の働き方が時代遅れみたいな論調にも疑問を感じる。

組織の中で働くことは必ずしも悪いことばかりではないし、どんな環境でも自分の取り組み方次第で学びを得ることはできる。

 

普通の生き方ってそんなに悪いものでもないんじゃないかなと。

 

 

信用の意味ってなんだろう?

 

ネットで情報発信している人の多くが言うのは、これからは信用を積み重ねていくことが大切だという主張。

まあ、実際その通りではあるんだけど、信用信用と声高々に言う人たちが割と胡散臭い。

 

個人単位で何かコンテンツを作りつつ、知名度を上げていくという姿勢は面白いし、近未来的な生き方だと思う。

ただ、組織の中で働く人を比較対象にして個人で活動する自分の優位性を述べるのはなんだかなぁと感じる。

 

サラリーマンは会社の看板に乗っかっているだけとか、個人としての信用を高めろだとか。

そもそも信用のある人間は他者の生き方や働き方に対してとやかく言わないし、わざわざ自分の信用の高さをアピールしたりしない。

そんなことをしなくても勝手に人が集まるはず。

 

だから、SNSとかの情報商材屋にありがちな美辞麗句を並べたて、信者をつくりだそうとする人たちは信用できない。

これって日々の生活で疲れた人たちを甘言で釣って自分が儲けたいだけではないかと。

 

よくよく考えたら、ネットで啓蒙活動している人たちの肩書きは全て自己申告。

良い事を言っている風でも実際の目的や素性はまったくもって想像上の産物だ。

まあ、これは自分にも言えることだけど笑

 

彼らは総じて口が上手く、やたらと都合のいい話や綺麗事を言うので注意が必要だと思う。

 

ここだけの話、SNSで多数の信者を抱えるカリスマ風情よりも、日々ストレスを抱えながらも懸命に頑張るサラリーマンの方が社会的信用は高いんですよ。

それに気がつかずに彼らの口車に乗せられ、雇われ人であることを卑下する必要なんて全くない。

 

実のところ、ネットでサラリーマンをdisったり煽る人は、単にまともに会社勤めが出来なかっただけの場合もある。

まあ、信者をつくれるということは、人の心を惹きつける才能はあるんだろうけど。

 

だから、ぱっと見輝いている彼らを何の疑問もなく信じるのは危険であり、「本当かな?」と訝しむ視点も必要だと思う。

 

というか、ツイッターで理想論や立派な事を呟いている人が多過ぎる。

それらがみんな本物なら世の中には特別な人だらけだよね笑

死ぬほど働いた経験もない癖に「無理して働かなくていい」だとか、実績があるか怪しい人が「成功するために必要なこと」とか耳に心地よいことを平気で書いたりする。

物事はそんな一言で解決できるほど単純ではないし、正直言ってまがい物の優しさかなと。

純粋に誰かを元気づけたくて書いているならまだしも、その活動が広告収入を得るためとかなら寒気さえする。

 

ここのところ、やたらと前に見かけたような綺麗事ばかり目にするから、つい本音が出てしまった笑

気を悪くされた方がいたらすいません。

 

 

何者かになるため自由を失う

 

このご時世、会社が自分たちを守ってくれる保証はないし、古い体質に辟易することもあるかと思う。

 

だからといって、旧態依然とした生き方を否定して理想を語るだけでは何一つ状況は変わらない。

自分らしさを求めて何者かになろうとし過ぎると、社会との妥協点を見つけるのが困難になって苦しくなる。

周りと違う特別な人間を目指そうとするあまり、かえって自由を失っては本末転倒かなと。

 

どんな環境でも自分の可能性に制限をかけずに学べそうなことを見つける。

意識するしないに関わらず、活き活きとしている人はそのへんのメンタルコントロールが上手いように感じる。

 

現状を否定し、何者かになろうともがくことも一概に間違いだとは思わない。

ただ、何者かになろうとすることは、逆に「こうあるべき」と自分の可能性を限定することにもなりかねない。

 

人と違う自分になりたい気持ちがかえって自分の自由を奪うリスクもあるのかなと最近は思う。

 

 

人生テキトーでいいじゃない

 

個人単位で情報発信できる時代だからか、なにかと理屈っぽくなりがち。

 

生きる意味だとか、自分らしく働くことだとか悩みの質も上がっているのかなと。

昔のように選択肢が少なかった時代に比べたら、それは幸せなことなのかもしれない。

(ある意味、不幸とも言えるかも笑)

 

ただ、どんな環境にいても自分が目の前の現実を受け入れることができているなら、それで十分に幸せなのではないかな。

それこそ、生きる意味なんて「何か美味しいものが食べたい」とか「ちょっとどこかに出かけたい」とかテキトーでいいじゃない。

 

こんな事を書くと、意識の高い人たちに「思考停止」と叩かれそうだけど笑

 

個人的に、辛さより楽しさの度合いが強く毎日を過ごせれば、小難しいことを考えなくていいのかなと。

たとえ何者かになれなくても、素敵な人生にしよう!

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little entrepreneur

「さとり世代」と呼ばれる若者です。 なんでもやりたがり屋な性格のため、現在は投資を中心として、いろいろなことに挑戦しております。 人生の目標は、自分らしく自由に生きること! 趣味:読書、廃墟探索、史跡巡り、音楽鑑賞、サッカー観戦、英語学習 投資:FX(外国為替証拠金取引)、仮想通貨、インデックス投資、ETF(上場投資信託)